虫めがね

新しい年が始まってから、久美子は謎の外出が多くなった。
忙しそうに家事をこなし、そそくさと外出する久美子を見送りながら、わたしは少し胸騒ぎがしていた。

最初は何とも思わなかったが、近ごろどうもおかしいと思うようになった。久美子は結婚して15年になる。炊事洗濯、近所付き合いや親戚付き合い、父母会などの学校の行事への参加などいつもしっかりこなしていた。ところが最近の久美子は平日の昼間、週に数回・数時間ずつ家を空けるようになったのである。

胸騒ぎがして、時々それとなく聞いてみるのだが、いつも笑顔でかわされる。むしろ

「フフッ、内緒。あなたには負けないわよ」

などと、意味深な返しが来る始末だ。一体わたしが何をしたと言うのだろう。わたしと久美子が張り合う必要など何もない。わたしには久美子しかいないのだ。そう考えながらわたしは新品のサッカーボールを蹴り飛ばした。

つい最近も携帯からどこかに電話したかと思うと、しばらくして出かけていった。聞こえた言葉から類推すると、やはりわたしの全く知らない人間と会っているらしい。いそいそと出ていく時のウキウキ感と、帰ってきた時の充実した表情を見ているとわたしの悪い予感は限りなく正しいと感じてしまうのである。

また、先日はわたしが寝ている間に、久美子は夜な夜な手紙らしきものを書いていた。不意に起きたわたしには気づかなかったらしい。扉の隙間から見える久美子は思慮深い表情を浮かべながらペンを走らせていた。

そして今日、一段と元気な笑顔で外から帰ってきた久美子を見て、ついにわたしの不安はピークに達した。今日こそは久美子の真実を知りたい。意を決した私は夕食の支度をする久美子に思い切って問いかけた。

「ねえお母さん!さっきはどこにいってたの?」

「え? 何よ突然。さっきからちょっと真剣な顔をしてると思ったらそんな事考えてたの? 馬鹿ねー。 お母さんは英会話に行ってたのよ。え・い・か・い・わ! 昔からやりたかったのよ。ドゥーユーアンダースターン?」

笑顔で答える母、久美子の答えは明快だった。しかし、わたしもそう簡単にはごまかされない。

「じゃあ、なんで知らないところに電話したり、夜に手紙書いたりしてるの?」

「馬鹿ねー。電話はレッスンの予約。夜に書いてるのは手紙じゃなくて宿題。一日の出来事を英語で書いてるの。あらやだ、この子ったら。寂しかったの?」

愕然とするわたしをよそに、久美子は満面の笑顔である。

確かにわたしが小学校にあがってから、徐々に母との時間が少なくなり、わたしは寂しかったのかもしれない。通い始めたサッカー部での活動や、お気に入りのミッキーマウスのぬいぐるみでは、わたしは癒されなかった。きっと私以外の誰かと楽しそうに会っている事を想像し嫉妬していたのだろう。わたしは急にはずかしくなった。

「寂しくなんかないよ。でもお父さんにはこの事は言わないで」

「うふふ。はいはい。わかりました。お父さんには内緒にしておくわ。でもお母さん、英会話は頑張るからね。昔から挑戦したかったんだから。今日はやっとレベルが上がって、お母さんちょっとノッてるの。あなたのキッズ英会話には負けないわよ~」

「うん。わかった。・・・ううぅ。」

「はいはい、無駄に泣かない。ほら夕ご飯出来たわよ! あなたの大好きなハンバーグ! イェイ! ラッキーユー! なんと今日は目玉焼きつき!」

「うん。いただきます・・・・・。うぐぐ。おいしい・・。」

See? So don’t cry my boy!

覚えたての英語で励まし、わたしの頭をなでる久美子。私は母の作ったハンバーグを頬張りながら、はやく強い大人になりたいと思うのだった。

 

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