宮川佐知子は師走の夕闇の迫る日比谷公園の前をコツコツと歩いていた。
普段は人や車が行き交う通りだが、日曜日の夕方であるためか閑散としていた。佐知子は紺のトレンチコートに赤いストールを首に巻き、中にはグリーンのワンピースを着こんでいる。つまり佐知子はお洒落をして歩いていた。
政府系の外郭団体で働く佐知子は、最近は仕事で英語が不可欠となり、やむなく新宿の英会話スクールに通う事となった。学生時代から苦手だった英語だったがレッスンは思いのほか楽しく、仕事の合間の良い気分転換となっていた。
また、夏に一念発起して参加したスクールのバーベキューイベントが楽しく、勢い余ってクリスマスパーティーにも申し込んだ。が、やっぱり知り合いのいないイベントに赴くのは不安である。会場に向かいながら案内のチラシを確認し、ため息を一つついた。
日比谷公園のすぐそばにあるそのビルはプレスセンタービルという大層な名前がついている。エレベーターで最上階まであがると昭和の匂いを感じさせる古めかしい小さなエントランスがあり、受付を済ませて中に入ると、ドーム型の大きなバンケットルームが広がっていた。
天井高は優に十メートルはあろうか、全面ガラス張りの窓からは日比谷公園を一望できた。佐知子はちょっと早めについたと思っていたが見回すと既に多くの人が集まっていた。窓際には熱心に夜景を眺める派手なスーツの男が二人。
「アニキ!やっぱり華の都東京は違いますね。ほらあそこ!スカイスクレイパーがグレートですぜ。外人さんも多いし、なんだかテンションがあがりますね」
「ヤス!せっかく英会話教室の宴会なんだからもっとイングリッシュをユーズしろ!俺なんか、このパーティーの事をイェスタデイから楽しみ過ぎて殆どキャントスリープだ。ルックアットミー。ほらこの眼のしたのクマ!」
「さすがアニキ。薄気味悪い顔が今日も迫力満点ですぜ!痛っ!ちょっ・・ドントビートミー。」
夜景をバックにしたバーカウンターの近くにはブラックスーツでいかにも研究者という感じの男性がまるで研究室のフラスコでも振るように赤ワインをくるくると回している。
「いやー。英語学習は難しいですね。今は私もスクールで勉強していますが、将来はきっと脳に直接言語をインストールする日が来ると思うんです。技術の進歩は加速度的に速くなっていますからね」
「なるほどー。そういう世の中が来るかもしれませんね。それが実行できるようになるには、どれくらいかかりますかね?」
話を聞いていたスクールのアドバイザーが教授風の男に質問する。
「オホン。そうですね。これから研究したとしたら30年ですかねぇ。たとえば、2047年くらい・・・」
「宮川さーん!」
振り返ると馴染みの小柄なスタッフが、髪をアップにして黒のワンピースに身を包み、宮川佐知子に白ワインを差し出している。
「今日はまた、グリーンのドレスに赤のストールなんてクリスマスっぽくて良いですね!」
「わ、わかります?ちょっとやり過ぎかなと思ったんですけど、皆さんお洒落して参加するとの事だったので、思い切ってクリスマスカラーにしてみました!」
助かった。極力明るく応えたものの、本当は一人ぼっちの恐怖におののいていたところだった。受け取った白ワインを口に含むと冷えたアルコールが五臓六腑に浸み渡る。そこへ、生徒と思しき男性が一人、パーティーのアジェンダを片手に、その小柄なスタッフに話しかけた。
「すいません。これって、取りあえず待っていればいいんですか?誰も友達がいないので不安でしょうがないんですけど・・・」
見ると青いジャケットに赤のピンストライプのシャツ、赤のネクタイを締めた小ざっぱりした男であった。顎にすこし、まるで殴られたような跡があるのは気のせいか。男は緊張で汗をかき、ひっきりなしにビールを口に運んでいる。
「あー! 上林さん。どうも。今日は服装が決まってますね! しばらくしたら乾杯しますので、アジェンダを読みながらお待ちになって下さい。あ、ちょうど良いや。こちら新宿校の宮川さんです。クリスマスカラーのコーディネート、素敵でしょう? お二人とも同じ新宿校なのでぜひ、お話ししながら待ってて下さい。じゃ、私は段取りがあるので後ほど!」
パタパタと掛けていくスタッフの後ろ姿を見送って、上林という名の男と二人で取り残された。仕方がないので二人、ドギマギと簡単な自己紹介をして時間を潰す。汗を拭きながら一生懸命話しかけてくれる上林は、どうやら誠実そうだ。ワインのお陰で大分緊張もほぐれてきた。
しばらくして、司会のスタッフとネイティブ講師の掛け声で乾杯が告げられた。派手なスーツの二人も、教授風の男も、上林も、佐知子もアドバイザーも一斉にグラスを掲げた。
2017年12月17日の夜のことであった。
※このストーリーは『研究成果』『時代の荒波』『遠足を10倍楽しむ方法』『タイムパラドックス』をご覧頂くと、更に楽しめます。ぜひそちらのストーリーも合わせてご覧ください。
英会話を学ぶ自分が想像できたら・・・
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