上林郁夫は英語が出来なくて悩んでいる。
こんな事なら三年前、英会話スクールに体験レッスンに行った時に学習を始めておけば良かった。あの時スタートしていれば、今頃英語がペラペラだったはずなのだ。
当時は仕事が落ち着いてからスタートしたいと思って一度保留にしたのだが、その後もスケジュールが落ち着くことはなく、結局三年の月日が経ってしまった。現在は三年前よりも仕事が増え、格段に忙しくなってしまっている。
なぜあの時英語学習を始めなかったのだろう。理由をつけて始めなかった自分に腹が立つ。しかも来春から会社での昇進にTOEICの基準スコアが課されることになり、このままでは昇進できない。郁夫は苛立っていた。
「クソッ!なぜ、俺はあの時英語を始めなかったんだ。もし、三年前のあの時の自分に会えるのなら、ぶん殴ってでも説得して英語を始めさせるのに。ああ・・・」
と頭を振って、何気なく振り返ったら自分がいた。
自分と全く同じ容姿・背格好で、郁夫を見つめている。正確に言うと若干老けている印象を受ける。そして着ている服が違う。何にせよ驚愕である。
「うわーーーーーっ!」
と声を上げたら、突然目の前の自分に殴られた。
「ガッ! ・・・痛ってーな! 何するんだ!」
「お前いま、三年前の自分に会って英語を勉強しろと言ってやりたいとか思っていなかったか?そして過去の自分をぶん殴ってやりたいと考えていただろ?」
「な、何でそれを!」
「『な、何でそれを!』じゃないよ。お前の考えている事くらいわかるぞ。いいか、今の自分が出来ないのを過去の自分のせいにするんじゃない。過去は変えられないんだ。」
「う、うぐぐ・・・」
「だから英語をやっておけば良かったと思った今。そう、今まさにお前が英語を始めるんだ!また三年前みたいに今は忙しいから・・みたいな理由をつけて英語をやらなかったら、五年後にお前はもっと大変な事になる。良く聴け。俺は五年後の世界から来たお前だ。うるさい!驚くのは後にしてくれ。ちょっ、やめろ!髪を触るな。大丈夫だ。まだ抜けてはいない。落ち着け!
そしてとにかく話を聴け。これからお前が勤める会社は来春のTOEICの必達基準を皮切りに一気に英語化が進む。そして三年後、突如アメリカの会社に買収されて外資系企業になる。五年後、さらにお前の部署の部門長は日本語の喋れないアメリカ人になり、英語でコミュニケーションの出来ない奴はバッサリと解雇されるんだ。だから悪い事は言わない。今すぐ英語の勉強を始めろ」
「そんな!今の俺が三年前の自分に英語を勉強させておけば良かったと思う発想と同じじゃないか!
あっ!わかったぞ。どうせ俺の考える事だからそうやって過去の自分に英語の勉強をさせて自分はラクしようって魂胆でしょ。そういう事なら、あんたは五年後の世界から今の俺に説教しに来るんじゃなくて、三年前に英会話スクールの体験レッスンを受けた直後の俺に言ってくれよ」
「わっはっは。思った通りのリアクションだぜ。違うぞ、五年前の郁夫君。実は五年前、俺が今のお前みたいにそうやって英語を始めなかった事を後悔してた時、五年後の自分が現れて殴られたんだ。ほら、これがその時に殴られた跡だ」
「この傷、残るの? ちょっとー。自分なんだからもう少し手加減してよ」
「それはいいからまあ聞いてくれ。実はそれから俺は必死に勉強したんだ。英会話スクールに通って自宅学習もキチンとやった。仕事も忙しかったけど、時間をやりくりすれば何とかなるもんだ。その結果、俺は少しずつ英語が喋れるようになり、会社が外資系になった時には俺は身に付けた英語力のお陰で評価を落とす事はなかった。そして五年後、アメリカ人の部門長から抜擢されて統括マネージャーになった。つまり俺は今のお前がこれから五年間英語を勉強した後の姿なんだ。
なに?年収? わっはっは。大丈夫、ちゃんと稼いでるぞ。それもこれも英語を学習して昇進したお陰だ。ということで俺はもう帰るけど、これから英語学習頑張れよ。それからもう一つ。お前は五年後、突然タイプスリップして五年前の自分に会う事になる。そしたら一発ぶん殴って、英語学習をしっかりやれと説教してやってくれ。わかったな。過去を嘆くくらいなら今から頑張るんだぞ」
ふと気が付くと、郁夫は一人で宙を見つめていた。何気なく顔をさわると顎のあたりに痛みが走った。
つーか、そんなに思い切り殴ることないのに・・・。
郁夫は早速三年前に体験レッスンを受けた英会話スクールに電話を入れた。
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