bread

店内は一面にパンを焼く甘い香りが漂っていた。三十分ほど行列に並んでやっと入ることができたパン屋は銀座の外れの高架下にある。明るい北欧家具で統一された店内には、小麦色に焼けた三種類の食パンがズラリと並べてあった。ここは都内でも珍しい食パン専門店である。

店の奥には書斎の様なカフェスペースがあり、パンや食事・飲み物が楽しめる。テーブル席に案内された恵は、予め決めておいたものをオーダーした。

・ 食パン二種盛りのジャムとバターの食べ比べセット
(国産小麦粉の角食パンと北米産小麦粉のプルマン)
・ ブラックコーヒー

この店は、自分の好きなトースターを使ってパンを焼けるところが面白い。恵は焼き上がりの美しさにこだわったというイギリスのメーカーDualit社のトースターを使う事にした。

アイ ライク パン!

とイギリス人に豪語したのは半年前の事である。パンは英語ではないという事に気付いたのはそのイギリス人男性と別れた後だった。

Oh you like pan! Good! Me too!

と優しく微笑んだあの笑顔は、今思えばやさしさ故に痛々しい。帰る道すがらコンビニで朝食用のパンを買おうとした時、パッケージに書かれたbread の文字に気付き愕然とした。その後も楽しそうにつたない英語を喋り続けた自分をぶん殴ってやりたいと心から思う。

アイ アム コーヒー!

と海外のレストランで言って店員に笑われたことも記憶に新しい。

Ok, you are not coffee, you just want to have a cup of coffee, right?

店員の真面目な訂正が恵の心にグサリと刺さる。旅の恥はかき捨てだが、こういった失敗の自己嫌悪は中々消えない。焼き立てのパンと熱いブラックコーヒーが好きな恵はこの組み合わせを見ると、いかにも日本人らしい英語の間違いを思い出し、恥ずかしい気持ちになる。

「お待たせいたしました。パンとバターのセットです」

皿には二種類の食パンと色の濃さが違う三種類のバターがのっていた。エシレバター、北海道美瑛産バター、よつ葉という三種のバター。恵はふわふわの食パンを少しちぎり、美瑛産のバターを塗ってポイッと口に入れた。甘い小麦粉の香りと、バターの芳醇な香りが口いっぱいに広がる。

もう一枚のパンはトースターにセットして焼き上がるのを待つ。立ち昇るコーヒーの芳ばしい香りがなんとも言えない。熱いコーヒーをすすり、店内から外を眺める。快晴の銀座の街は華やかな雰囲気だ。街ゆく人も心なしか品がある。

恵は一念発起して英会話に通っている。時々訪れるこの食パン専門店の近くに英会話スクールを見つけたのだ。まだ始めたばかりだが、週に一度のペースで通っている。今日も遅めのブランチを味わった後にレッスンの予約を入れてある。

レッスンの後は、友人宅で気軽なワイン会をやる予定。ワイン会には例のイギリス人も来る。恵は手土産にここの食パンと美瑛産のバターを買って持って行こうと思っているのである。

イギリス人の彼には、
This bread is really awesome!
と言ってやりたい。

トースターのパンが焼き上がり、恵はエシレバターを塗り始めた。

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