とんかつ

江戸時代、日本は幕府の命により外国との付き合いを禁止する「鎖国」の状態であった。

しかし1853年、ペリー提督が黒船に乗って浦賀に現れ、事態は急転する。開国を迫られた幕府は猶予を求め一旦保留と

るが、江戸の世の中は上を下への大騒ぎとなった。一年後、ペリー提督は開国の返答を聞くため再び黒船に乗り横浜へ

上陸。この時日本はアメリカとの開国を受け入れ、同時に横浜港が誕生した。ペリーと同行した宣教師のウィリアムズ

「繁栄しているように見えない」と称した横浜は、今や人口370万人。現在横浜は日本を代表するウォーターフロントに発展し国内屈指の国際都市に変貌している。

男は揚げたてのトンカツを頬張った。

横浜駅地下街、昼時はいつも混み合うトンカツ屋のカウンターで一人、熊のような男がトンカツの定食を掻き込んでる。名前を萩原という。萩原は通信会社に勤める中堅サラリーマンである。五分刈り頭で額に汗をかきながらムシャムシャとキャベツを食べ、味噌汁をすする。

 

傍らに置いてあった携帯が不意にメールを着信する。水をゴクゴク飲んで、萩原は携帯を覗き込む。

 

件名:ペリー来航。通訳頼む。

差出人:山崎

 

フン?

山崎は萩原の大学時代の友人である。萩原は表情も変えず本文を見た。

【米国の得意先からエリアディレクターが日本を視察にくる。社で会議をした後、日本らしいところを案内しなければならないのだが、何かアイデアは無いか?先方は当然英語で日本語は話せないそうだ。会議には通訳をつけるが、接待に通訳をつけるほど余裕が無い。英語の通訳もお前に頼みたい。御礼はかならず後日。】

萩原は残りのトンカツをガツガツ食べて、あっという間に定食を平らげた。大きな体でトンカツを食べる様は、傍から

るとさながらスポーツである。おしぼりで汗を拭い、煙草に火を付けてようやく一服する。グローブのような手でiPhon

を器用に操り、萩原は電話をした。

どうした。メール見たぞ。取引先からお偉いさん来るんだって?

そうなんだ。頼むよ。お前、英語得意だっただろ?

高いぞ。

まあ、そう言うなって・・・。

数日後。ペリーが来た。

威風堂々。いかにも気難しそうな長身の米国人である。しかし萩原も負けてはいない。格闘家のような体躯で欧米人に負けない毛深さである。

取引先のエグゼクティブの接待を任された山崎は、英語が堪能な萩原に助けを求めたのだった。萩原は押しが強く、外人とのコミュニケーションが上手だと聞いていた。萩原とは学生時分からの付き合いで気心も知れている。コイツはぶっきらぼうな熊だが信頼できる。そう思い今回の協力を依頼した。山崎は片言でのコミュニケーションは出来るが、細かい話や日本文化の説明など到底出来ない。

夕方のミーティングを終えた後、すぐにアテンドで街へ連れ出し、萩原と料亭で待ち合わせたのだった。

Nice to meet you. I’m Greg.

アメリカからの客人が言う。

応えて萩原。

ナイストゥーミーチュー。

アイアム ハギワラ。マイファーザー イズ サムライ。マイマザー イズ ゲイシャ。アンド、アイアム ニンジャ。

山崎は唖然とした。萩原の英語はバリバリのカタカナ英語だったのである。この野郎、英語ヘタクソじゃないか!ジョークもベタだしふざけるなこの熊! 頭の中が真っ白になった山崎は米国人を見る。客人は表情を一つも変えず、萩原を直視したまま返答する。

That’s nice.Actually my father is a cowboy and my mother is a blonde and I am spiderman.

二人は一瞬、沈黙のまま向き合い、一呼吸おいてから大笑いした。

夜十一時、〝ペリー〟を横浜ベイシェラトンまで送り届けた山崎と萩原はホテルのバーで飲み直している。

お前、びっくりさせるなよ~。英語が上手いんじゃなくて、コミュニケーションがうまいだけじゃないか。そうならそうと、初めから言ってくれ。最初はホントに肝を冷やしたぞ。

勘違いしたのはお前だろ。俺は何も言っていない。しかし役目は果たしたぞ。約束通り今度驕れよ。ちなみに俺は寿司が好きだ。

いやしかし受けたなぁ、お前のキャラ!英語があれだけカタカナ発音なのにガンガンいったな。とにかく盛り上がって良かった。きっと商談もうまく行く。

フン。努力だよ。努力。カタカナ英語も立派な英語。それから最後は度胸だ。日本人を舐めてはいかん。

熊のような身体をゆすって、萩原はグラスビールを一息で飲み干した。ペリー来航から161年後の事であった。

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