絵画

フランスに代表される印象派の絵画は実は日本画の影響があったといわれる。

1867年、パリ万博に出展した幕府や薩摩藩、佐賀藩は安藤広重の浮世絵を紹介した。当時、日本画の平面構成による空間表現や鮮やかな色使いは、当時の画家に強烈なインスピレーションを与えた。そして、絵画は写実的でなければならない、とする制約からヨーロッパの画家たちを開放させることになる。
現在も漫画などの文化がヨーロッパで受け入れられている事を考えると中々興味深い。

志穂はカフェで英語のテキストを開きながら、壁に掛かるクロードモネとゴッホの画をぼんやりと眺めている。

ゴッホの最期は銃で自殺したとされている。詳細は不明らしく、子供の銃の誤射をかばう為に、自分で自分を撃ったと偽ったとも言われている。後年は、アブサン中毒の狂気の中で創作したと言われ、絵には鬼気迫る迫力がある。アブサンとは19世紀の芸術家に愛飲されたリキュールである

ゴッホの作品の中では「夜のカフェテラス」が好きだ。印象派の作品は考えずに見て心地良いのが良い。志穂は飾られている印象派の絵画を数枚見つめながら、紅茶をすすった。

よし!
英語のテキストを開き、2・3問解いてみる。
テキストには、ギッシリ書かれた長文読解問題。いかにも難しそうな英文である。問題も中々手強い。

ゴッホが生前に売った絵画は一枚だけだったらしい。
そんな話を思い出すと志穂は複雑な気分になる。死後どんなに有名になっても、生きている時にその充実感を実感しないと意味がない、と思うからだ。アブサン中毒の中、売れない画を描き続けるゴッホの姿が頭に浮かぶ。

ふうっと一息つきながらホワイトマカダミアクッキーをかじる。時計を見ると30分経っている。まだ問題を5問しか解いていない。

だーっ! こんなんじゃだめだ! これではまた目標のスコアに届かない!

カフェでは人が行き交い、様々な人が思い思いの時間を過ごしている。志穂はひとり、黙々と英語のテキストを読んでいる。

志穂が英語を学ぶ理由は一つである。勤める会社の昇進の基準にTOEICの点数を導入するとの発表があったからである。そこで渋々英語学習をスタートさせたが、自宅では中々集中が出来ない。そこで休みの日は時々お気に入りのカフェに来て英語の勉強をすることにしたのだ。

まだ怠惰な気持ちに負けて、反省を繰り返すことも多いが最近やっと調子が出てきた。というのも英語に打ち込むと、なぜかちょっと前向きな気持ちになるからだ。結果はまだ出ていないが、打ち込んだ後の充実感に満足しているのだろう。そんな日は何もしない一日よりも格段に充実した気分でベッドに倒れ込める。

そう考えるとゴッホは存外幸せだったのかもしれない。彼は絵を売りたかったとは思うが、絵を描く日々が充実していたに違いない。

気が付くと思いのほか時間がたっていた。志穂はテキストをしまって店を出た。外は華やいだ休日の恵比寿の夕暮れ。肌寒さが季節の移り変わりを感じさせる。夏の後ろ姿はもう遥か遠く、夕闇が迫り街の灯りがゆらめく。

志穂は、自身の勉強の充実度に満足しながら足をはやめる。今日は友人と恵比寿のお店で食事をする予定なのである。

志穂はそうして夜のカフェテラスに消えて行った。

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